ジャンドゥーヤって何?実はナポレオンがきっかけで生まれたチョコレート?

ジャンドゥーヤについて、名前は聞いたことがあるけれど、詳しくはよく知らない人は結構多いと思います。

実はチョコレートの中でも古くからの歴史あるチョコレートがジャンドゥーヤなのですが、誕生にはナポレオンが関係しているのです。

今回はそんなジャンドゥーヤについて詳しく書いていきます。

ジャンドゥーヤとは何?

ジャンドゥーヤとは、ローストしたヘーゼルナッツを細かく砕いたり挽いたりしてパウダー状にしたものに、チョコレートを加えて練り上げ固めたチョコレートのことで、1865年イタリアのトリノに本社を持つカファレル社によって創作されたとされています。

カカオ不足のための苦肉の策として、地元の名産品であったヘーゼルナッツをカカオの代用として使用し、チョコレートに混ぜて合わせることで生み出されたのがジャンドゥーヤです。

ジャンドゥーヤの発祥にはナポレオンが関係している?

時代は19世紀初め、イタリアを含め多くのヨーロッパの国々がナポレオン率いるフランスの支配下に置かれていた1806年にさかのぼります。

当時ナポレオン率いるフランスは、産業革命のさなかで経済成長を続けていたイギリスと対立していました。

そこでナポレオンはイギリスの経済を抑え込もうと画策し、大陸封鎖令を発令しました。

工業化の進んでいたイギリスからのヨーロッパ各国への工業製品などの輸出を止め、食料品、工業原料などをヨーロッパから輸入できなくすることによって、イギリスの経済や産業の弱体化を図ったのです。

この大陸封鎖令によって、イギリスはナポレオンの政権下にあったヨーロッパ周辺の国々と自由に貿易が行えなくなりました。

この大陸封鎖令には自国の産業を強化する目的もあり、経済発展を加速させたフランスはヨーロッパでの市場を有利に進めていきました。

しかしフランス以外のヨーロッパの国々の多くは、当時経済の豊かなイギリスとの貿易取引を行うことが出来なくなってしまうことで次第に経済が低迷し、その後財政難へと追い込まれていく要因となりました。

またイギリスも対抗策として海上封鎖を行ったことで、ヨーロッパ大陸とアメリカ大陸との貿易が規制され、ますますヨーロッパへの物資の輸入量が減少していきました。

イギリスからの輸入だけでなく、アメリカ大陸からの物資も激減してしまったため、ヨーロッパの市場には物資があまり出回らず、価格は高騰していきました。

当然、南米や中米などの限られた地域でのみ栽培が可能なカカオも、輸入量が減少し流通量が規制され、供給不足となったカカオの価格高騰は避けられず、一部の貴族しか買えないような非常に高価な高級品へと扱われるようになりました。

それでもイタリアを含めヨーロッパの人々はチョコレートの味を求め、カカオの需要はますます高まっていきました。

そこでイタリアのチョコレート生産者は何とかチョコレートが安価に作れないかと考えます。

そしてイタリア北部にあるトリノのチョコレート生産者が目を付けたのが、地元ピエモンテ州の特産物として生産されていたヘーゼルナッツ。

地元で生産しているため入手がしやすく、カカオよりも安価であったヘーゼルナッツを、チョコレートの原料であるカカオの代用に利用できないかと考えたのです。

その後、チョコレートに使用するカカオの一部をヘーゼルナッツで置き換え、代用したことによって誕生したとされるのが、ジャンドゥーヤというチョコレートなのです。

もともとカカオの一部をヘーゼルナッツで代用していた歴史がある?

年代を振り返ると大陸封鎖令が1806年、チョコレート製造会社としてカファレル社が創業したのが1826年、その後ジャンドゥーヤが公式に誕生し販売されたとされるのが1865年、とても長い年月が経過しています。

チョコレートの歴史では、イギリス人のジョセフ・フライという方が現在でもポピュラーな固形の食べるチョコレートを開発しました。それが1847年。

それ以前のチョコレートとは、ココアパウダーとお湯を合わせたものに砂糖加えた液体状のものを指し、一般的に飲み物として扱われていました。

そのためジャンドゥーヤは1847年に固形のチョコレートが開発されたことをきっかけに、ヘーゼルナッツをするつぶしたものを固形のチョコレートと混ぜ合わせたことで誕生したと考えられます。

ですが1806年の大陸封鎖令が起きた頃から、イタリアではカカオの代用となるものを探しており、このころから地元の特産物であったヘーゼルナッツに加工を重ねながら、チョコレートに加えられるような製菓材料として扱われていたとされています。

つまりはチョコレートがまだ飲み物として扱われていた時代にも、チョコレートにヘーゼルナッツが加えられるような工夫がされていたとされているのです。

また19世紀半ばごろといえばカカオの産地の転換期でもあり、カカオを生産する農園で大規模な病害や天災などが重なり、カカオの生産量が著しく減少していた時代でもあります。

カカオが高級品として扱われながらも、カカオの需要が日々高まっていた時代に、このジャンドゥーヤの誕生は非常に画期的で、その存在に当時のチョコレート好きなイタリアの人々は助けられたのでしょう。

ジャンドゥーヤはミルクチョコレートよりも先

ちなみにミルクチョコレートが初めて開発されたのは、1875年でスイス人のダニエル・ピーターという方によって生み出されました。

通常、油分であるチョコレートに水分を含んでいるミルクを加えようと思っても、混ざらず分離して、ぼそぼそとした状態になってしまうのですが、

のちにネスレ社の創業者となるアンリ・ネスレ氏と交友関係があり、彼が開発していた乳児用粉乳に着想を得て、ネスレ社とともにミルクチョコレートを完成させたとされています。

その後、ミルクチョコレートは第2のチョコレートと呼ばれるようになり、第3のチョコレートとされるホワイトチョコレートが生みだされるきっかけとなります。

そんなミルクチョコレートよりも10年以上も前に、ジャンドゥーヤは開発されていたのです。

このことからも、ジャンドゥーヤの歴史の深さやイタリアのチョコレート生産者による技術力の高さ、そして当時のチョコレートを愛する人々の強い思いを感じます。

イタリアはヘーゼルナッツの名産地

世界のヘーゼルナッツの生産量はトルコが約8割を占めているのですが、次点はイタリアです。

イタリアでは、ヘーゼルナッツを栽培する環境として豊かな気候と土壌に恵まれ、古くから上質なヘーゼルナッツを多く生産する地域として知られています。

古くから培われてきた生産技術と豊かな栽培環境が合わさることで、生産されるヘーゼルナッツは丸く形の整った大粒で上質なものとなります。

イタリア語でヘーゼルナッツをノッチョーラというのですが、チョコレートに限らずノッチョーラと名の付くお菓子などはイタリアでは非常に多く、好まれていることからもイタリアの人々にとって、ヘーゼルナッツはかかせない存在となっているのです。

ピエモンテ州のヘーゼルナッツはとても美味しい

イタリアで生産されるヘーゼルナッツは品質が高いことで有名ですが、その中でも特にピエモンテ州で栽培されているヘーゼルナッツは最高級品とも呼ばれるほど。

ピエモンテ州産のヘーゼルナッツは本当に美味しい。

とくにコクと風味の味わいが独特でフワッと口の中で広がり、同じヘーゼルナッツでもここまで違うのかとその違いに驚かされます。

カカオの香りにも負けない豊かな芳香で、ローストすることでさらに香りが広がります。

そんなヘーゼルナッツがチョコレートのカカオと合わさることで、さらに香りと味わいに深みが増します。

ジャンドゥーヤはイタリアの銘菓

イタリアは名の知れたチョコレート大国であるのをご存知ですか?

カファレルを含めイタリアには100年を超える老舗チョコレートブランドが多くあり、チョコレートの技術を競いながらも伝統を守りつつ、さまざまなバリエーションのチョコレートやジャンドゥーヤを生み出してきた歴史ある地でもあるのです

とくにイタリアではチョコレートに地元の特産物であるヘーゼルナッツを使用したチョコレートを扱っていることは多く、古くからイタリアの人々に親しまれながら、イタリアの歴史にとってジャンドゥーヤが密接に関係していることが分かります。

ナッツとチョコレートの相性は抜群で、イタリア銘菓の代表格ともいえるチョコレートがジャンドゥーヤなのです。

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